【ヒーラー名】
武田莎緒梨
MMS公認ガイド、アドバンスドヒーラー

私は幼少期、とにかく落ち着きのない子どもでした。

「元気が有り余り、3歳で補助輪なしの自転車を乗り回っていました。怪我したり傷だらけになってもへっちゃらで、とにかく好奇心旺盛ですぐにどこかに行ってしまう子どもでした。スーパーやショッピングセンターに家族と行くと必ず迷子になるので、親に私の名前や連絡先を書いた紙を入れたポシェットを肩からかけさせられたりしていました。

小学生になっても落ち着きのなさはそのままでしたので、学校の先生からは毎日のように叱られていました。とにかく、好きなことにはのめり込む傾向がこの頃からありました。

中学生の頃の記憶はあまりありませんが、とにかくイジメは許せなかった覚えがあります。友達をイジメていた男の子をほうきを持って追いかけ、すごく怒った記憶があります。

短大生になるとディスコにはまり、毎週のように友達と踊っていました。

とにかく身体を動かす事が大好きでした。

そんなお転婆な青春時代を過ごしていた私が、なぜか保育士になったのか…。子どもが特に好きだった訳でもないのに…。

しかし保育士になったおかげで、保育園内でアドラー心理学やモンテッソーリ教育などを学べる機会が増え、心理学や哲学にハマっていきました。

これが私が形而上学(目に見えない世界の学問)やヒーリングに興味を持ったキッカケかも知れません。

そして長男の誕生は、いろいろな意味で私の転機になりました。

長男は1歳か2歳の頃、天井を見上げて「うん、うん、あははは」と楽しそうに笑っているのです!

「何を話しているの?」と尋ねると「小さなおじさんと話をしていたんだよ」と答えるのです。息子は犬とも会話する事もあり、私はそれまで目に見える世界しか信じていなった…物質的な世界にしか目を向けていなかった私が、”目に見えない世界”の存在を認識せざるを得なくなるキッカケを与えてくれる出来事でした。

次男の誕生は、さらに私に転機を与えてくれました!

次男はすくすくと成長してくれたものの、発達の遅れが見えるようになりました。保育園に入園するも保育士さんから次男に関して心無い言葉を浴びせられ、精神的に追い詰められていきました。やがて鬱を発症してしまい、精神科に通うほどに酷くなってしまいました。

薬に頼りたくなかったので、極力に飲まずに頑張りましたが、常にギリギリの状態でした。そんな私の姿を見ていられなくなった友人が薦めてくれたのが、DNAアクティべーション”でした!

これが衝撃の出会いだったのです!

24時間ネガティブな妄想に取りつかれ夜も眠れず、涙が止まらない状態だったのに、氣持ちが楽になっただけでなく、見える景色がまったく変わってしまったのです!

何が起こったのか最初は理解できませんでしたが、やがてこのヒーリングという技術の素晴らしさにハマっていきました。自分がヒーリングで癒されるだけではなく、自分もこのヒーリングが出来るようになりたい!そう思うようになっていったのです。

そのような経緯で、アデプトプラグラムを受けることになり、やがてヒーラーになりました。

包丁マッサージを始めたキッカケは、ズバリ直観です!

自分自身が施術してもらって最高に氣持ちよかったのもありますが、13歳の時にヘルニアの手術を受けてそれが再発していた主人を助けられるかもと思ったことが大きな理由でした。

現在は浜松市で唯一の刀療師(台湾発祥の包丁マッサージを施術する療法師)として、またMMS(モダンミステリースクール)公認ガイド・ヒーラーとして活動しています。